2013年8月25日日曜日

頭の固い私

純粋にいままた読みたいからだけでなく、9/22の企画に向けても兼ねてかぜたびを読み進めています。
かぜたびが放つもの、それを生み出した佐伯さんの想いにどれだけ肉薄できるか。

そんな中で31号から6号続けて特集されている「電気の働きに満ちた宇宙?」に知的好奇心を刺激され楽しんでいます。

天動説が「常識」だった頃、地動説は異端であり排除の対象だったであろうと想像します。
それまでのマインドセットが変わる時には、抵抗や反発が起きるもの。

コペルニクス的転回や、
ロールシャッハテストで見えなかったものが見えるようになること
仏教で倒懸と呼ばれるもの、
アインシュタインが言ったとされる「我々の直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない」
そういった視点の切り替えは容易ではありませんが、
自分を省みることはそれらに比べればまだできそう。

意見を振りかざしていないか、
他者の意見を排除していないか、
当たり前だと決めつけていないか、
見る世界が全てだと思い上がっていないか。

「常識」は複雑系の科学で見ると、偶有性や可塑性を失った停滞ではないかと思います。
他を排除すれば安定はなくなる
変化を恐れるようになったら、それは死を意味するのではないか。

歳を重ねても変化を受け入れられる人がいます
そういう人は、不安定の安定、あわいを保つことが身に付いた方なのではないだろうか。
変化を恐れず、しかし育みは大切にし、決してとどまることなく安定を維持できる

http://www.kazetabi.jp/第31号-第32号/

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